ハッピー・サッドという言葉がある。自分のバンドのアルバムタイトルにするくらい好きな言葉だ。意味は「楽しい悲しみ」。今日はそんな感情に近い経験をした一日だった。いや、もっと正確に言えば「ちょっと満足・大分(だいぶ)やるせな」というべきかもしれない。
今日は朝の7:30からバイトだった。今日は13:30までの6時間の勤務だ。朝は早いけど、終わるのは昼過ぎなので、午後の時間を有効に使うことができる。そう思って、東京に行く計画を立てた。目的は初台にある東京オペラシティ アートギャラリー。アルフレド・ジャーという現代アーティストの展示をやっていて、会期が明日までだったので、ギリギリ滑り込めると思った。
展示は19時には終わってしまうので、バイト後家に帰らなくてもいいように荷物の準備をしてから、バイトに向かう。計画は完璧だった。今日は朝のオープン作業をワンオペで担当するシフトだったため、気楽な気持ちで映写機の立ち上げを行った。オープン作業が終わり携帯を見ていると、あるインスタの投稿が目に入る。なんと、東京の江古田で「ラジオ 知らねえ単語」の展示をやっているらしい。しかも、今日は金井球と園凛が在廊しているらしいのだ。これは行くしかない。そう思った。オペラシティの閉館が19時、知らねえ単語の展示は18時までだから、時間的にギリギリ行けるか?行けないか?というところだ。そう考えながら乗り換え案内を観ると、新幹線を使えば美術館とのハシゴも出来そうだということがわかった。鈍行で行くと約1800円で、新幹線だと約5000円。値段は高いが、背に腹は変えられない。新幹線で行って、2つの展示をハシゴすることにした。
バイトが終わるとコンビニでパンを買って、新幹線に乗り込む。東京駅からいくつかの電車を乗り継いで、あっという間に会場のある江古田駅に着いた。しばらく歩くと、インスタのストーリーで見たギャラリーに辿り着く。
「こんにちはー。」
そこには本物の金井球と園凛がいた。本物だ。透明感がすごいけど、ちゃん等身大の人間だ。知らねえ単語の2人も、本当に実在していて普通の人間なんだなーと思った。
先に展示を観て、そのあとで2人と話せたらいいな。そんなことを考えながら展示を読み進めていった。しかし、全然文字に集中出来ない。寝不足のせいなのか、そこに本物がいる緊張のせいなのかは分からなかった。なんとか展示を観終え、あとは話しかけて、次の美術館に行くだけだ。そう思ったものの、すでに2人はお客さんたちとお話をしている。この人達が終わったら、話しかけよう。「いつも応援しています」くらいの軽い一言をサッと掛けるだけでいい。そう思った。しかし、なかなか話しかけるチャンスがない。タイミングを伺いながら既に見終えた展示をなんとなく眺めていると、ある男性が、金井球に声を掛けているのが聞こえた。
「お世話になっております。なんちゃらマガジンの編集長のなんちゃらです。」
これを聞いた途端、私は
「あ、なんかもう無理だ……。」
そう思ってしまった。時間も無い、緊張もしている。ただでさえ話しかけづらい状況なのに、今話している相手はなんちゃらマガジン編集長だ。もう勝ち目がない気がした。勝ち目というか、別に勝とうとしている訳ではないが、とにかく話しかけることを諦める理由としては十分だった。
ギャラリーを後にして、初台の美術館に向かう。乗り換え案内を観ながら駅に向かっていると「あれなんか時間ギリギリっぽいぞ」ということに気付いた。足取りを早めて急いで初台に向かう。しかし、物事はそう順調には進まないものだ。新宿駅での乗り換えがめちゃくちゃ難しい。構内の案内表示の看板を慎重に見ながら歩いていたはずなのに、急に案内表示が一切無くなって、新宿の街中に放り出されたのだ。焦燥感の中にもまだ諦めない気持ちを持ち続けた。Googleマップや街の景色を頼りに、なんとか乗り換えることができた。
展示終了は19時だが最終入場は18:30。美術館の受付に着いた時、既に時刻は18:25だった。ギリギリセーフ、金井球に話しかけられなかった分、美術館は楽しもうと思った。しかし結果的にそれは叶わなかった。現在アートは社会構造や美術史のコンテクストを読み取って、目の前にある作品の記号を読み解くものだ。しかし、30分という限られた時間や、焦りからくるソワソワとした感情の中では、各作品とじっくり対話することは難しかった。
作品自体はものすごく面白いものだったし、限られた時間の中では精一杯作品からの学びを読み取ったと思う。しかし、私はなんとなく消化不良な気持ちだった。完全に悲しい、絶望という気持ちでもなければ、純粋に満足した、楽しかった訳でもない。なんとも言い表せない絶妙な感情だけが私の心の中に残った。二兎を追うものは一兎をも得ず。という言葉があるが、それだったのだろうか。多くを求めすぎて天罰が下ったのだろうか。いや、私は今日一日十分頑張ったし、天罰なんてあんまりだろう。そんなはずがない。ただこの計画にちょっとだけ無理があったというか、「このスケジュール感だとこのくらいの包括具合だよ」というだけのことなのだろう。そう思って自分を無理矢理納得させることにした。どうせ話しかけられないならもうちょっと金井球のことをまじまじと見ておけばよかったと思った。